1.日本艦艇の艦艇色
(1)第2次大戦開始前の軍艦色
旧日本の艦艇色は一般に暗いネズミ色ですが、戦前は各工廠で微妙に異なっていた事を、泉江三氏が下記の文献で考証されてます。・ 軍艦の塗装 −基礎から実技まで− 泉江三編 海文堂 カバー表紙
・ 世界の艦船 No.281 1980年5月号 特集・軍艦の塗装
旧日本海軍艦艇の外舷塗料色調見本(鼠色) 泉江三氏調整
・ ニチモニュース Vol.7 1973年11月
旧海軍艦艇の塗装標準について(第4回) 泉江三氏またモデルアート1984年6月号臨時増刊艦艇模型テクニック講座で、衣島尚一先生が市販プラスチックモデル塗料による配合表を掲載しています。しかも塗装は1つ1つ吹きつけた塗料片を張りつけたもので、非常に貴重な資料です。尚、これと上記資料、特にニチモニュースより実際の調合比率とマンセルを下記表にまとめさせて頂きました。
また、2000年4月にはモデルアート社からモデルアート5月号臨時増刊号として「軍艦の塗装」(著作 衣島尚一先生)が発売されました。
この本は、これまでの艦艇塗装の集大成と言っても過言でない本で、我々艦船モデラーが待ちに待っていた本です。実はこの本の資料協力に私の名前も列記させていただいてます。おそらくこのウェブの大和の塗装関係の考証を参考して頂いたのだと思います。(衣島先生、ありがとうございます)
尚、参考に色見本を付けてますが、この色は Windows NT v4.0上の Photoshop v4.01J で作った軍艦色のRGBの値を直接HTMLに書き込んでいますが、私自身の作成環境はもとより、見る環境・アプリケーション・ディスプレィカード・モニターによりかなり色調が変わると思いますので、マンセル番号もしくは塗料を実際に調合して確認して下さい。
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マンセル 5PB5/2とマンセル N4.5との中間色 | (近似)マンセルN3.5 | マンセル 10B2/5とマンセルN5との中間色 | |
マンセル番号 (衣島先生の軍艦の塗装) |
(近似)マンセル N4.5 | (近似)マンセル N5 | |||
リントン・ウェルズ2世著 帝国海軍艦船の塗色 |
カラー |
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自己 |
戦時色【シルバー・グレー】 ( 白 75% +黒 15% +青 5% +茶 5% ) |
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アメリカ海軍 軍艦色(31) 【100%】 |
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艦艇模型テクニック講座 |
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ニュートラルグレー(13)【15%】 |
つや消し黒(33)【2%】 |
日本海軍軍艦色(32) 【70%】+ ニュートラルグレー(13)【25%】 + ミディアムブルー(72)【5%】 |
衣島先生の軍艦の塗装 | グンゼミスターカラー | 日本海軍軍艦色(32) 【95%】+ つや消し黒(33)【5%】 |
日本海軍軍艦色(32) 【70%】+ ニュートラルグレー(13)【30%】 |
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Mr.カラー艦艇色セット1 日本海軍工廠標準色 |
グンゼミスターカラー | 呉海軍工廠標準色 SC01 |
佐世保海軍工廠標準色 SC02 | 舞鶴海軍工廠標準色 SC03 | |
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− | 日本軍艦色(2)呉海軍工廠 9 |
日本軍艦色(1) 佐世保海軍工廠8 |
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日本模型の1/200シリーズ模型で記載された艦艇色の自己調色率 |
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ヤヌス・シコルスキー著の戦艦大和図面集での自己調色率 |
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日模1/200キット「大和」の組立と塗装第2回(プラホビー誌 vol.42) 森恒英氏記事 | マンセル N5.5 白 80% + 黒 14% + 錆 0.3% + 黄土 5.7% (尚、これは呉工廠色に限定している可能性もある) |
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(2) 上記塗料材料の概要
材料名 | 色 | 用途 |
煮亜麻仁油2号 | 黄色透明 |
亜麻の種子を常温で圧搾して得た乾燥脂肪油から製造したボイル油。亜麻煮油自体はリノレン酸、オレイン酸、リノール酸からなる液体で空気中では徐々に固化する。エーテル、クロロフォルムなどに可溶でアルコールには難溶。 乾燥材(ドライヤー)を付加し固練りペイントなどに使用し、塗料の不揮発分増加材、塗装適正向上剤として利用する。 |
白亜鉛粉 | 白・灰色 |
亜鉛末自体は金属亜鉛を気化し急冷してできた粉末。亜鉛は鉄よりもイオン化傾向が強いため電気化学的な防蝕作用を発揮する。この為さび止め用塗料として使用する。 尚、白亜鉛粉と言っているのであるいは亜鉛華の可能性もあるのでこの説明もしておく。亜鉛華は、酸化亜鉛からなる無毒性の白色顔料で製造法や金属亜鉛の純度により白から灰色となる。殆ど総べての顔料と併用が可能で耐光性、耐熱性に優れる。また油の乾燥や硬化を促進し塗膜の硬化を向上する役目もある。 |
乾燥材 | − | 油や塗料の乾燥を促進する顔料。 |
テレビン油 | 無色〜微黄色 | テレピン油、テルピン油ともいう。松科植物の材、バルサム、又は根部を水蒸気蒸留して得られるテルペン系炭化水素で、塗料用溶剤、添加剤に使用 |
カーボン ブラック |
黒 | 油煙、松煙ともいわれ炭素を主成分とし、酸素、水素及び窒素からなる黒色顔料。生成は天然ガス、石油、又は動植物の不完全燃焼あるいは熱分解により作られる。 |
胡粉 | - | 貝殻などを砕いた顔料。(詳細は軍艦の塗装を参照下さい) |
生油 | - | 植物性乾生油(詳細は軍艦の塗装を参照下さい) |
これは1999年10月9日に開催されたプラモデルラジコンフェアの後、衣島尚一先生と共に、ロートシルトさん、コウ中村さん、みほりさん、大きな鳳さんの艦艇の塗装関係の話題をまとめた物です。 尚、この内容は、おじさんより更に詳細な情報を頂き修正しました。
軍艦の塗装に同様な内容が掲載されているのは、このためです。( I ) 日本海軍艦艇の艦艇色は何色だったか?
旧日本海軍の艦艇の塗装は、日露戦争直前の改訂以来、基本的に白3に対し黒1の比率で混合されたものを「鼠色」としていたようで、現在公刊されている資料からは、これ以外の色配合は確認できません。この為戦中も、艦艇の塗装は規定として白3に対し黒1の比率で混合されていたようです。
つまりこれまで艦艇色は灰色以外に青の成分や茶色の成分も混入されていたように言われていましたが、意図して青とか茶色の色成分は混合されていなかったという事です。
それでは、何故青みがかった色をしていたのか?
実は色と言うものは、人の記憶の中でもっとも当てにならないものであり、塗料の基準色が規定されている現代でも、同じ色が天候や気象、時刻により、また順光・逆光でも異なった色に見えることはよく知られています。
まして、当時の顔料では退色・変色も著しかったため「これが正しい色」というのを決めるのは不可能といえるのでしょう。
では艦艇色の青色成分についてはなんだったのでしょうか? これは舷側への海面の反射によるものではないかと考えられます。また色のスケール性でもある程度考証しているように、遠方から見た場合にも太陽光の青色成分の乱反射により青みがかって見えたことも要因の一つだと考えられます。
これから考えた場合、模型へ艦艇色を塗る場合は各工廠ごとでなく、天候や海域の色、模型を見ている視点(距離)に依存するものと考えられます。また海軍艦政本部 牧野技術大佐の「艦政本部第4部」便覧裏のメモにあったように、第2次大戦勃発後、艦艇色を明るい灰色に変更したという記述は正式な旧日本帝国海軍の資料にはなく、少なくとも「塗色標準」ではないと考えられるようです。
尚、当時の塗料は組成成分上色品質は3ヶ月程度しかもたず、色の劣化は激しかったようです。「鼠色」が3ヶ月もすると「白化」して「銀鼠色」となり、スコールを浴びると元の色に戻るという話さえあります。
( II ) 艦艇色は適当に塗られた
実際に艦艇色を塗装するときは調合色の「鼠色」を使用するか、現場で白のペンキ缶3に対し黒のペンキ缶1を混ぜ合わせたことです。
またこの白と黒の混ぜ合わせの調合については適当に行ったと言うことです。
尚、この「適当」という表現は当時の仕様書では随所に現れますが、これの意味するところは、塗装する日の湿度や天候に合わせ混色の比率や濃度、塗布回数を適宜臨機応変に対処したと言うことで、決していい加減に混ぜ合わせたと言うことではありません。これからしても、艦艇色は艦ごとだけでなく、時期や塗装部分により色々な塗り分けがあったものではないかと思われます。( III ) 艦艇の色は建造された各工廠ごとに色が違っていたのか?
各工廠の艦艇色は微妙な差異がありますが、これは各工廠に納めている塗料メーカーの白成分の組成の違いによるものです。
また、各艦艇に塗装された艦艇色は竣工時は建造された工廠の色であるものの、定期検査以降は、所属する鎮守府の工廠の艦艇色が塗布されているものと推測されます。
しかし実際には艦艇はある一定期間分を艦内に備蓄していたため、実質的には塗料を積み込んだ各工廠の色がその艦艇の艦艇色となります。ただし戦闘前にもなると可燃物である塗料は陸揚げされます。しかし、作戦が終了した後は必ずしも自分の艦から陸揚げされた塗料が戻ってくるわけではありませんので、色々な工廠で作成された艦艇色や白色や黒色がブレンドされます。このため外地での各艦艇の艦艇色は、建造された工廠の艦艇色とは異なる可能性が大きいと考えられます。
(IV) 自衛隊の塗色の測定基準
私の知人に防衛庁関係の仕事をされている方がいますが、彼から聞いた話では自衛隊の塗色基準は色の色差計で行うとの事です。ただこの色差計というのが問題で、RGB要素の3つの平均値が誤差範囲内であれば基準をクリアできるとの事です。このため、一つが基準値を飛び出していても、3つの平均値が誤差範囲以内であれば色差標準としてはクリアする為、作る時期により色が大幅に変わることが良くあるそうです。現在でもこの状態ですから、大戦当時どうであったのかはおしてしるべしというところでしょう。尚、この件については更に資料を貰える予定ですので、そのときに再度修正します。( V ) まとめ
以上をまとめると、太平洋戦争中の旧日本海軍の艦艇色ほど千差万別、悪く言えばいい加減なものはありません。
白3に黒1を混ぜた灰色を基本に自分なりに気に入った色を塗るのが正解なのではないかとも考えます。
(このまとめの章で、ウェブ開設以来今日(2002年10月25日)迄の数年間、黒と白の混合比を、黒3に白1と書いておりました。ご指摘頂いたHG名無しさん、連絡して頂いた某氏さん、ありがとうございました。・・・しかしまとめの文章の間違いを数年間に渡り全然気がつかなかった私って・・・)ワタ艦でも、後日これまで記載してきた内容と併設して塗装の項を書き換えていこうと考えています。ご意見などはワタ艦掲示板でお願いいたします。
(1) 木甲板とは
木甲板の仕様を下記にまとめました。
(参考)
森恒夫著作:軍艦雑記帳(上):出版 田宮模型。
江畑謙介著作:軍艦の塗装:出版 モデルアート社刊モデルアート(連載)。
リントン・ウェルズ2世著作:帝国海軍艦船の塗色 1904-45:出版 海人社刊世界の艦船 1983年 4月号 No.320 。
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・乗艦者の足の疲労を防ぐ。 ・木甲板を敷く事により、直接鉄甲板に外気が触れないようにする。 ・防音性の向上。 ・船体の補強の一部を担わせる。 |
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木甲板に採用される木の条件 |
・心材の伸縮が少ない事。 ・虫害に強い事。 ・耐水性に優れている事。 ・鉄を腐食しない性質である事。 |
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チーク材【戦艦伊勢型まで】、欅(けやき) | |
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檜(ヒノキ)【戦艦長門型、大和型】、松、杉 | ||
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幅 150mm 以下、厚さ 50 mm 以上 | |
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幅 125mm 以下、厚さ 65 mm 以上 | ||
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した 理由 |
・チーク材の品不足(長門型では檜を採用) ・巨艦建造の隠匿性を守る為(チーク材は東南アジア特有の木の為、国内で入手不可) |
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最初はデッキタン(薄茶色)と思われるが、風雨や波に数ヶ月さらされると、薄い灰色になる。 |
(2) 戦艦の木甲板の構成
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(参照:江畑謙介著、軍艦の塗装) 【モデルアート連載】 |
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木甲板は幅150mmで一ヶ所、それ以上では2ヶ所で亜鉛メッキされ甲板に取りつけられたこの甲板ボルトで固定される。ボルトの頭部は埋め込まれ白鉛を塗り下記のドエルで詮をされる。 | |
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ドエル |
ドエルは木甲板と同じ材質で出来た木詮で、甲板上にボルトが出ないように埋木させる。 | |
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下記のホーコンの上に溶入する水侵入防止用のコーキング剤で、木甲板上の黒い筋はこのピッチによるものである。尚、森恒夫氏の軍艦雑記帳では、ピッチは熱に弱い為、その部分にはパテを使用したと記述されている。 | |
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古麻縄をほごしたもので、木と木の間のコーキングの役目をする。これと上記のピッチにより水の侵入を防ぎ、木甲板及びその下の鉄甲板の腐食を防ぐ。 | |
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水道 |
ガッタ水道は木甲板の舷側端にある甲板の排水路である。ストリンガ山形材で形成する場合と、厚セメントで形成する場合がある。大型艦の場合、その幅は約60cmである。 | |
A |
木甲板の横線は少なくとも3条以上間を隔ててなければならない。この為横線が同一線上に並ぶ事はない。 |
(3)戦艦三笠甲板取替工事(2004年3月)に見る実際の甲板の構成と色
下記の写真は、戦艦三笠の甲板取替工事(2004年3月)の際にデジカメで撮影した写真です。甲板の構成及び新旧の木の色の違いがはっきり分かります。
下記の写真は、船の科学館に横付けしている宗谷の木甲板をデジカメで写したものです。実際の木甲板の色を見比べてください。宗谷の室内にある木甲板の色は茶色〜黄銅色ですが、風雨にさらされている屋外の木甲板は、写真のように灰色となっています。
宗谷室内の木甲板の撮影 宗谷屋外の木甲板の撮影 ![]()
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宗谷屋外の木甲板の拡大撮影画像 ![]()