• 特別寄稿 「リノリュームの話」

    掲示板でも話題になりましたが、おじさんが、リノリュームに関して調査、研究しまとめられ、当ウェブに特別寄稿して頂きました。 リノリュームの誕生、性能、成分、使用法など詳しく解説されていますので、日本の艦艇研究に役立てて下さい。(尚、この資料の著作権はおじさんに帰属します)

    ■リノリュームの発明
     リノリュームとは1860年に英国のフレデリック・ウォルトン(Frederik Walton)によって、従来床張り材として使われていたオイル・クロスの発達した「カムプチュリコン」の改良品として発明された床および壁面の被覆材料である。

     英国では昔から石張りや木張りの床の上に装飾と断熱のため、布を広げたり、カーペットを敷いて暮らしていた。 しかし、教会や学校、病院、公共施設、銀行、劇場、商店など多くの人々が出入りする場所では、塵埃の発生と摩耗により、かなりの頻度での交換が必要となる。このため、耐久性のあるきれいな床材が求められた。

     最初は木床や石床の上に装飾のため油性塗料で模様を描いていたが、施工に手間がかかり、断熱効果は皆無である。このため工場で生産し、現場で敷き込む製品として「オイルクロス」というものがN.スミス(N.Smith)によって1763年に考案された。 これはクロスに樹脂、タール、密蝋、亜麻仁油と絵の具を塗布したものであり、その後耐久性を高めるため、塗布する油の量を増やしたり、生産性を高めるため模様をプリントしたりする改良が施されたが、1843年にはH.ヴァイル(H.P.Vail)によって天然ゴムとコルク粉末をこね合わせ、金属板上に薄く圧着させたものが登場した。 その後1851年にL.セントローレンス(L.St.Lawrence)がさらに改良をして、「カムプチュリコン」と命名して特許を取得、同品は床ならびに壁装材として人気を博したが、天然ゴムの価格高騰により採算が得られず、他の材料による代替が試みられていたのである。

     1860年、ウォルトンは亜麻仁油に触媒として鉛化物を加え、空気を吹き込んで数時間加熱した煮亜麻仁油(ボイル油)を布に塗り、40℃の高温で空中に暴露し、乾燥させて得られるプラスチック・ゲル状の油、リノキシン(Linoxyn)の製法特許を得、これを天然ゴムの代替品として使用し、松油(天然ロジン)、化石樹脂(カウリコーパル)、を配合したものにコルク、木粉を練り込んだものをジュート(麻布)に塗抹し、薄板布状に圧し延ばしたものを開発し特許を得た。

     当初は「カムプチュリコン」に似せて「カムプチコン」と命名していたが、混同を避けるため後にリノリュームと改名している。 「カムプチュリコン」よりも低価格で製造できる「リノリューム」はエドワード・ニコルソンの資金提供を得て、1864年にミドルセックス州のステーンズでWalton,Taylor&co.として発足、その年にLinoleum Manufacturing Company Ltd.に製造権を移行して生産を開始した。

     製品の性能は優秀であり、特に英国海軍は艦艇の甲板材としての有効性に着目した。19世紀後半、軍艦の装甲していない上部構造物に砲弾を受けたとき、砲弾は外板を突き抜け、船内で炸裂する。 このとき船内での圧力が高まるような堅い素材は甲板に使用しないことが設計上の常識であり、丈夫で軽い素材として戦列艦以来の木甲板が使用されていた。 しかし、木甲板は爆発によりささくれたり飛び散ったりして兵員を傷つける。 この被害を避けるため、小型の軽防御艦艇に薄い鋼板の上からリノリュームを張って甲板とする手法が開発され、好評であったことから、巡洋艦以下の艦艇の暴露甲板をはじめ、大型艦の艦内などに積極的に用いられていったのである。

     1872年、米国のジョセフ・ワイルド商会がウォルトンの協力を得てヴァージニア州リッチモンドにアメリカンリノリューム社を設立。同年ウォルトンが役員を務めていたLinoleum Manufacturing Company Ltd.はフランスにもリノリューム製造会社を設立している。

     1882年にはドイツにドイッチェ・リノリューム・ヴェルケ・ハンザの前身であるデルメンホルスト・リノリュームが創設され、全世界的にリノリューム製品が普及することとなった。

    ■日本におけるリノリューム工業
     日本でのリノリューム製造の嚆矢は、稲わらから得られる繊維を用いた織物由多加織を開発した寺西豊太郎の弟である福吉が、由多加織の輸出を担っていたサンマス貿易商会の輸入品であるアメリカンリノリューム社のリノリュームに出逢い、その耐久性の高さと将来性に着目。国産材料を使ったリノリュームの開発研究に着手したことに始まる。

     寺西福吉は調査を進めるうち、外国産艦艇の床材としてリノリュームが使われていることを知ると、将来国産艦艇には国産リノリュームが使われるものと確信、ペンキの主剤である亜麻仁油がリノリュームの主原料であることを知ると、コルクの代替にわら屑の粉末繊維や籾殻などを混入させて国産のリノリュームを開発し特許を得た。

     これを事業化するため、サンマス貿易商会の支援を得てアメリカンリノリューム社との技術提携を結んだ由多加織合資会社は山口銀行の資金援助のもと東洋リノリューム製造工場の建築許可を申請し、1919年(大正8年)兵庫県伊丹市に東洋リノリューム株式会社を設立し、翌年12月には国産第一号のリノリュームが試作されたのである。

      1922年(大正11年)7月海軍省の購買名簿に登録された東洋リノリュームは、海軍の検証実験を受けることとなり、ドック内の閘門天板に東洋リノリューム製の製品と吉田鹿之助商店製品および英国製製品を貼り付け、1年半にわたる検証実験が行われた。この結果東洋リノリューム製品の優秀性が認証され、海軍に採用された。 このあと輸入リノリュームは数年を待たずして輸入激減し、東洋リノリューム製品が市場を席巻している。

     海軍艦艇の建造年度から見て、1924年度の竣工艦艇以降はおそらく同社製品が使用されたものと思われるので、川内型以降、古鷹型、妙高型、睦月型、特型などの大戦参加主要艦艇と、昭和期に航空作業甲板を新設した長門型、扶桑型、伊勢型、金剛型の諸艦は同一の色調と判断して良いだろう。

    ■艦艇用リノリューム
      リノリュームは甲板材として木甲板に代わって登場したデッキコンポジションで、明治末期の輸入艦艇に使われていたことから、大正期には国産艦艇でも重用されていた。

     基本寸法は幅1.8m長さ27.3m。海軍で使われていたものは厚さ3oのシート状のもので、水分滞留、塩水、アルカリ分による変質があり、重量物による摩擦、衝突で破損する事があるとされている。

     当時東洋リノリュームで製造されていたものは厚さ2oから5oまでのもので、褐色の「茶」のほか「灰」「赤」「藍」「緑」「チョコレート」の6色とマーブル模様の「茶」「灰」「藍」「青」などが見られる。 このうち艦艇に使われたものは明るい褐色の「茶」であったが、重巡「羽黒」の建造時に長崎駐在海軍監督官であった庭田尚三中佐(当時)が、三菱長崎造船所とともに今で言うカラーコーディネイトを取り入れ艦内壁面を淡緑色とするとともに、士官室や艦長居室などの床面に「緑」を使用し、これが好評であったことから、以降の艦艇では居室部分に「緑」が使用されていた。 なお、艦内でも艦橋や通路部分は「茶」が使われている。

     甲板部分は雨水の浸入を防ぎ、また寒暖差による伸び縮みで剥離するのを防止するため、真鍮板によるリノリューム押さえによって、貼り合わせ部分を螺子止めしているが、艦橋暴露部を含めて、艦内は張りっぱなしであった。 艦内での使用では、すり減ることも多かったとみえ、食卓等の下にあて板を置くとか出入り口には適当な大きさに切ったリノリュームを張り増しするか筵を敷くようにと、当時の運用術教範にある。

     手入れは艶拭き、真水拭き、油拭きの順にとりおこなうが、油拭きは「リノリューム油」を擦りこむごとく拭いあげるとしている。 この油拭きは露天甲板においては毎月3〜5回、居住甲板でも毎月2〜3回と比較的まめに実施されていたようだ。 そのため甲板では新造時はやや明るめの褐色だったものが、定期的な油拭きにより次第に黒ずみ、茶色に近くなっていったようである。

     リノリューム甲板の補修に関しては、「艦内工作教範」に詳しく載っているとのことだが、概要として次の記述がある。 継ぎ目が剥脱したり、膨皺ができたときは「リノリューム糊」を充填の後圧着。 表面が破損したり継ぎ目に隙間ができたときは「リノリュームパテ」を充填する。 パテ充填や接着では不十分な場合は張り替えを指示しており、必要部分を剥離の後、鉄板床面の錆落としを実施。防錆塗料を塗布し、施工面を平滑に仕上げてから十分に乾かし、その後「床面」と「リノリューム裏面」にリノリューム糊を塗り、約十分換装の後、張り付ける。 最後にローラー、木片に毛布を巻き付けたもの、ゴム片などで残留空隙、剰余糊などを扱きだし、砂嚢あるいは木片のあて板と重錘を置いて4〜8日放置するとある。

     また、冬季は硬化する危険があるので、日光にさらすか温室で暖め、施工時に折損事故を起こさぬよう指導している。 さらに大面積の場合は施工前に十分引き延ばして曲がり癖をなくしてからとも言及している。

     これらの教範から読みとれるのは、材質としては現代の床材に比し、低温下ではもろく、間借り癖が付くと反りやすい手の掛かるものであったようだ。 接着剤にしても、圧着後の養生期間が結構あることから、現代の化学合成接着剤に比べると、品質がそれほどよくなかったことが伺われる。

     太平洋戦争開戦ごろには物資の統制も厳しくなり、リノリュームの主原料であるコルクや亜麻仁油などが入手困難となっていたが、亜麻仁油の代用として満州産の大豆油を、コルクの替わりに国内産のアベマキの樹皮を使用することとなり、これにより従来は明るい褐色であったリノリュームが暗褐色に変わってしまったようだ。

     大戦末期の建造である阿賀野型の後期艦「矢矧」「酒匂」や「夕雲」型の後期艦「清霜」「初霜」「秋霜」、「秋月」型の後期艦「冬月」「花月」「宵月」「春月」「夏月」「望月」と「松」型後期艦あたりは赤みの強いチョコレート色になっている可能性が高い。

    ■大戦中のリノリューム剥離
     元来有機系材料で作られているリノリュームは、その組成から見て不燃材料ではない。ミッドウェー海戦やソロモンの戦闘で炎上した艦艇の戦訓から、艦艇の不燃対策としてリノリュームを剥離したとの記述があり、一部の空母では壁面の塗料まで剥離したと伝えられている。

     これらの記述から、大戦末期の艦艇は甲板も鉄甲板むき出しとなったように思われているが、大戦末期の艦艇の写真を見る限り、リノリュームを剥離している例は少ない。艦内は防火対策のため剥離したようだが、甲板はその直下の兵員室の防暑対策もあって多くの艦艇は剥離はせず、そのままであったようだ。 一部の艦艇では、完全に剥離した例もあるが、甲板については個々の艦の判断に任せられていたと思われる。

     リノリュームに変えてアートメタル・ペトンを塗ったり、耐火性のデッキコンポジションの採用。滑り止め鋼板の設置などの例もあるが、全艦というわけではないので、注意が必要だ。

    ■参考資料
    ● 「人・生活・空間」東リ70年のあゆみ 平成2年3月 東洋リノリューム(株)
    ● 建艦秘話 庭田尚三 昭和40年9月 船舶技術協会

     リノリュームカラーチップ   リノリュームの組成   茶色と緑のリノリューム 
    リノリュームカラーチップ リノリュームの組成 茶色と緑のリノリューム
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